Koguma

自由に生きたい韓国マニアのゆったり生活

楽しいことが見つからない!という人が勘違いしていること

こんにちは、そみです。

最近「楽しいことが見つからない」「面白い趣味がほしい」といった類の言葉をよく耳にします。

私は運よく(?)昔から絶えず黙々と楽しめる趣味を持っていたので、そういった状態になった経験があまりないのですが、テレビなんかをぼーっと見ていると「自分が心から楽しいと思えることがない」と感じる人が増えてしまうのも無理はないかなーっと思います。

日頃よく思うのは「楽しいことは外部で見つけるものじゃない」ということ。

楽しいことを見つけよう!としてる人が結構勘違いしそうなことだと思うので、今回はそのことについて書いていきます。

用意された楽しさの危険性

日本ってとにかく便利で何もかも完璧に準備されている国ですよね。

何かモノを買ったときでも、頭を使わなくてもいいように、異常なくらい親切なつくりになっています。

 

ま、それはいいんですが、趣味とか個人の楽しみ方といった部分まで入り込んでこられるとそれはちょっとお節介だな、と思うことが多々ありまして。

というのも、テレビとか雑誌を見ていると「20代女子のお洒落な趣味はこれだ!」「週末、絶対楽しめるスポットはここだ!」みたいな特集があったり、全然DIYじゃないDIYキットが販売されていたりしますよね。

で、多くの人がその”用意された楽しさ”が本当に楽しいことなんだと錯覚してしまっているように思います。

 

私はそういうのを見る度に「もっと自由に能動的に取り組めて、結果ではなくプロセスを楽しめるようなものがあればいいのになー」なんて思ったりします。

時にはそういったもので気分転換をするのもありなんですが、おそらくこういった”用意された楽しさ”ばかりを求めていると、いつまでたっても心は満たされないんじゃないかと思います。

 

楽しいことが見つからない!という人は、いったん用意された楽しさから離れて、自分の気の向くままに旅をしてみたり、ゼロの段階からモノや料理を作ってみたりするのもいいかもしれません。

 

趣味に他人の判断や考えを入れないこと

そしてもう一つ大事だと思うのが、趣味とか自分の楽しみ方に他人の価値観や視線を絶対に入れてはいけないということ。

それをしていては、心の底から楽しいと思えることがあったとしても、自分自身がなかなか気づけないと思います。

「みんなが楽しそうにやってるから私も楽しめるはず」とか「この趣味だったら周りにかっこいいって思われるな」とか「プライベートを楽しんでるって思われたい」などなど、いろんな邪念が入ってしまうと、本来自分が何に興味を持っているのか、何に没頭できるのかといったことが見えにくくなってしまいます。

 

私も学生の頃、話題についていくためにみんなが面白いといっているテレビ番組を見たり、面白いといっている本を読んでみたりしたんですが、全然楽しめなかったんです。

周りによく見られたいから好きでもないことを趣味だと言ってみたり…。

あの時は本当に馬鹿なことをしていたものです。

 

結局自分が夢中になるのって、人にあんまり自慢できないようなことだったり、できれば自分の心の中だけにしまっておきたいことだったりするんですよね。

でもそれが自然なことだと思いますし、それが本来の楽しいことなんだと思います。

 

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自分の中から涌き出てくる楽しさ

外ばかりを見て「楽しいことがないー」「趣味がないー」と言っていると、おそらく一生仮の楽しさだけを味わう羽目になるかな、と。

というのも、本当の楽しさって突然空から降ってくるものでもなく、誰かが完璧に用意してくれるものでもなく、自分の中から湧き上がってくるものだと思うからです。

 

気の向くままに何かに没頭しているプロセスの中で、自分の中からムクムクと湧き上がってくる「嬉しい」「わくわくする」といった感情が本来の楽しさだと思います。

だから他人の目を気にしたり結果にこだわったりすると、そのプロセスを心から楽しむことは出来ないし、いつまでたっても満たされないまま生きることになるかも…。

 

なので、楽しいことが見つからないっていう人は一度、周りの情報とか価値観をシャットアウトして心が引かれるものに没頭してみることが大切じゃないかな、と。

 

そしてくれぐれも焦らないように。時間をかけてこそ感じられる楽しさもあるので、趣味や楽しいことには効率とか利益とかを入れこんじゃいけないです。

「こんなこと人に自慢できる楽しさじゃないよー」って思うものこそが、実は自分が心から求めている楽しさなのかもしれませんよ。

ではっ。

 

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