こんにちは、そみ(@somi_koguma) です。
今年で25歳になり、世間的にはもう立派な”大人”になった私ですが、世間が求める大人像と今の自分の間にはかなり大きな溝があるなーと思う瞬間が今まで何回もありました。
日本社会では毎日ちゃんと働いて、集団の中でもうまく空気を読んで、円滑にコミュニケーションをとって、嫌なことも奥歯をかみしめて我慢する…これができて立派な大人と認められますが、私は見事にどれも欠けていまして…(笑)
10代の頃はそんな欠けている部分ばかりに目がいって、自分をダメダメ人間だと思っていたのですが…、20代に入って「できないことを無理にするのはやめよ」と思った瞬間から、できないことよりもできることに集中できるようになり、今ではわりと好きなことで生きられるようになってきました。
で、今になって思うのは、苦手なことを無理やりしたり自己否定したりする時間は本当にもったいないことで、それぞれの役割だけこなして、苦手なことは得意な人に任せる。こういうスタンスで生きるほうが楽なんじゃないかということ。
今回は
- ・みんなと同じことができない
- ・自分の得意・好きを強みにしたい
- ・平均的に何でもできる人になれない
といったことで悩んでいる方に向けて、無理に何でもできる人にならなくてもOKですよーというお話をちょこっと。
- みんなが普通にできることができない!が悩みだった10代
- 能力が偏った人が生き生きとしている社会を目撃
- 平均的に何でもできる人をやめる
- 人生の比重を、好き・得意にシフトしていきやすくなる
- 自分の役割だけをこなせばOK。
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みんなが普通にできることができない!が悩みだった10代
10代の頃は自己肯定感が低すぎて、何かにつけて自分を否定する癖がついていました。
何せ学校で普通に求められること、バイト先で普通に求められることが笑えるくらいうまくできなくて、私は日本社会でやっていけるのだろうか…とお先真っ暗だったんですよね。
例えば、理由もわからない意味不明なルールに従うとか、おかしいと思うことがあっても空気を読んで黙るとか、誰とでも適度な距離を保ちながら、友好的に付き合うとか、…大半の人ができることなんでしょうが、私にとってはどれも難易度が高すぎてついていけませんでした。
何でみんな簡単にできるの?って本気で悩んでいました。
そしてそれは自分の努力不足なんだ、自分がおかしいんだと思い込んでいて、周りから劣らないように毎日必死に頑張っていたんですよね。
能力が偏った人が生き生きとしている社会を目撃
そんな私が転機を迎えたのが21歳の頃。
当時海外にドハマりし、狂ったように海外に行くようになった私は、旅先でいろんな形のコミュニティ、いろんな生き方をしている人に出会いました。
コミュ力が皆無のプログラマー、2年ごとに仕事をコロコロと変えているおじさん、車椅子で世界中を飛び回っている人などなど…。
日本では出会ったことがないような人達が、周りと違うことをあえて強みに変えて、生き生きとしていたんです。
それを見て、周りに必死に追いつこうとしている自分が滑稽に思えてきました。
もちろん西洋の教育や、キリスト教の影響も無視できないので、日本人が完全に彼らのような思考になれるかといえば、少し無理があるかなと。
でも、自分が悩んでいることは他の国では何ともないことなんだと気づけるだけでも、気持ちがかなり楽になれた気がしました。
いま見ているコミュニティ、社会、ルールがすべてじゃない。
若いうちに海外に出ておけって言われるのは、これが理由だったんだ…と、そのとき強く実感したのを今でも覚えています。
平均的に何でもできる人をやめる
ま、海外に出たからといってすぐに人生が変わった!なんてことはなかったんですが、「ちょっと集団に馴染めなくたっていいじゃないか」「得意な人がやったらいいんだ」「わたしが得意なことは、もしかしたら他の人にとって苦手なことかも」って頑張って自分に暗示をかけるようにしたんですよね。
そして大学を卒業し、フリーランスになり、お金が貯まっては海外と日本を行ったり来たりし、たくさん本を読み……そういう生活を繰り返していく中で”平均的に何でもできるようになりたい欲”が減ってきたように思います。
そしてその流れで仕事やコミュニティなどを探したところ、平均的な能力を求められない場所に自然に行き着くことができました。
ま、それがフリーランスだったんですけどね(笑)
今ではキャパシティーを超えない程度の仕事をしつつ、空いた時間に大好きな旅行や読書、写真、ブログを楽しみ、自分の身の丈に合った生活ができるようになりました。
これは平均を目指していたら実現していなかった生活です。
ま、まだまだ理想の生活には程遠いので、これからも試行錯誤しなきゃいけないんですが。
人生の比重を、好き・得意にシフトしていきやすくなる
”平均”という超不安定な基準を捨てるメリットは、自分が死ぬほど嫌だと思っていることから解放され、自己否定を繰り返す癖がなくなること。
そして、人生の比重を、好きなことや得意なことにシフトしていきやすくなることかなと思います。
好きなことだけして生きてはいけないという言葉をよく聞きますが、”平均”、”世間の基準”を捨てきれないままだと、そりゃあ無理です。
何かを得たいなら、何かを捨てる覚悟もしなきゃいけないって思います。
もちろん人それぞれ事情があるので、今は周りに合わせたほうがいいって思ったら、とりあえず合わせておいて、着実に準備を進めておく。
そして、ここ!っていうタイミングで離れたり、捨てたりするのもありだと思います。
要は今の自分にとって何がベストなのかを常に天秤にかけ、じっくり考えることが大切ってことです。
そういうことを繰り返していくうちに、自分の適性や性格に合った理想の人生に近づけていけるのかなと。
でもまあ、好きなこととか得意なことで生きていきたいのなら、早い段階で「人は人」「私は私」って思えるように思考をシフトしておいたほうが楽ちんです。
自分の役割だけをこなせばOK。
日本社会の一番嫌なところは、すぐに絆とか団結といっためちゃくちゃ不安定で信頼性のない言葉で、みんなと一緒を強制してくるところ。(私情入りまくり)
国民全員の目標が同じだった昔はそれでよかったのかも知れませんが、今は人生観もライフスタイルも多様になってきています。
だから時代錯誤なコミュニティが嫌なのであれば、それが家庭であれ、仲良しグループであれ、会社であれ、学校であれ、すぐに逃げたらいいと思います。
いや、むしろそうしないと、これからの時代どんどん苦しくなっていくかもしれません。
そして自分の得意なことや無理なくできることを、尊重したりサポートしてくれる居場所を探すこと。
すぐに見つからないかもしれませんが、ネット上とかだったら割と簡単に見つかったりするので、そこをきっかけに広げていくのもありです。
今、みんなと同じことができなかったり、平均的に何でもできる人になれなかったりして悩んでいる方には、「そんなことで悩んでいる時間があるなら、早く本当に自分が望むことに時間を使いましょ」と言いたいです。
偉そうな言葉になってしまいますが、これは過去の自分にかけてあげたい言葉でもあります。
冒頭にも書いたように私は能力がかなり偏っていますが、現に自分にできる役割を担いつつ生き延びていますし、毎日それなりに楽しく過ごせています。
そして私の周りにも、変人だけど自分の好きなこと見つけて楽しく生きている人もいっぱいいます(笑)
だから皆さんも大丈夫です。もっとわがままに、好きなことに正直に生きましょう。
あー、こういう人もいるんだな、私と同じ悩みを抱えている人もいるんだなって、少しでも安心してもらえたら幸いです。
久しぶりに旅行記事以外のことを書いたら、なんだかまとまりがなくなっちゃいましたね。
ではっ。
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