韓国本『体の言葉たち -愛でも嫌悪でもない体の話-』を読んでみました。

 

こんにちは、そみ(@somi_koguma) です。

 

以前から何度かブログやSNSにも書いていたことですが、昨年頃から、”自分の体の機能を取り戻すプロジェクト”を黙々とやってまして。

なぜこれを始めたかというと、10代~20代前半の頃は、体=自分ではなく、体は所有物に近い認識だったというか。”誰かに見せる美しい体”になるために、体の機能を無視し、徹底的にコントロールしていたんですよね。

 

しなやかに動けるようになるための運動ではなく、細くなるための運動。

栄養バランスよりもカロリーを気にした食事。

体温調節がしやすい服、動きやすい服ではなく、体が綺麗に見えるための服。

 

という具合に、”機能”ではなく”美”に重点を置いて生きてきたからか、心と体が完全に離れてしまい、常に自分の体を監視し、評価する癖がついちゃってまして。

 

でもフェミニズムを学んだり漢方を取り入れたり、運動を本格的に始めたことで、今まで自分が体に向けてきた歪んだ視線に気づき、20代後半にさしかかり、ようやく自分の体に向き合う練習を始めました。

 

で、最近読んだ  『体の言葉たち(몸의 말들)』も、自身の体とちゃんと向き合う女性達の話がつまったエッセイでして。

世間の美の基準に苦しむ女性達が、紆余曲折を経て体と対話を始める様子に何度も胸が熱くなりました。

 

    ・体にコンプレックスがある
    ・ルッキズムに疑問を持っている

といった方におすすめしたい 『体の言葉たち』 - 愛でも嫌悪でもない体の話 

今回もこの本の内容や印象深かった部分を紹介していきたいと思います。

 

※今回紹介する本は韓国語で書かれた本です。 

 

 

体の言葉たち(몸의 말들)

 

 『体の言葉たち(몸의 말들)』 は韓国女性8名が「女性と運動」「女性とタトゥー」など多様なテーマで自身の体の話を綴ったエッセイ。

映画監督、ナチュラルサイズモデル、作家、ジムトレーナー、タトゥーイストなどなど、多方面で活躍する女性が各自の立場で経験を語ってくれています。

ちなみに、日本でも人気の韓国エッセイ『死にたいけどトッポッキは食べたい 』の著者、ペク・セヒさんも思春期の頃に経験したひどいアトピーについて書いておられます。

 

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このエッセイは大きく4つのテーマに分かれています。

1章『몸,자연스럽게』は、筆者らが病気やダイエット、老化などを通じて向き合った体について。自己嫌悪や自己愛、世間の目といった体を取り巻く葛藤について。

2章『몸,솔직하게』は性やタトゥーなどタブー視されがちな話が。

そして3章『몸, 건강하게』には女性と運動について。

4章『몸,온전하게』には、目的達成のためにすぐに置き去りにされて(して)しまう体について書かれていました。

 

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一般的に女性の体に関する本といえば、どうしてもダイエットや美容といった話題に流れがちですが、このエッセイは女性に向けられる世間の基準や枠を取り払った内容になっていて、読んでいて心地よかったです。

思春期の頃にこういう話をしてくれる大人が一人でもいたら、もう少し自分の体に寛大になれていたのかなあと思ったり。

 

ではここからは、印象に残った文章をいくつか紹介していきたいと思います。

 

n個の体、n個の事情

 

거듭 말하지만 ' 내 몸은 나의 것이다'가 아니라 ' 내 몸이 나다'. 우리의 정신이 몸을 소유하고 있는 것이 아니라, 몸이 바로 나인 것이다.

중략

몸에 대한 긍정적인 생각은 곧 자아관이 된다. 문제는, 자기 몸에 대한 긍정성을 갖기 어려운 시대에 있는데, 과학기술의 발달로 자아만 팽창한다는 사실이다. 

引用:『몸의 말들』p12-13

 以下、私が意訳した文です 

 (何度も言うが、’私の体は私の物’ではなく、’私の体が私’なのだ。私たちの精神が体を所有しているのではなく、体=私なのだ。)

(体への肯定的な考えは、自己意識に直結する。問題なのは、ただでさえ自身の体を肯定しづらい時代に生きているのに、科学技術の発達により自我だけが膨張しつづけていることだ。)

 

몸의 영역에는 쉽거나 작은 실천은 없다. 인생에서 가장 어려운 일이 자신을 알고 변화시키는 것이기 때문이다. 타인의 시선을 상대하는 용기, 나이듦을 인정하는 것, 아픈 상태도 인생의 소중한 부분이라는 인식, 남의 몸에 대해 되도록 적게 말하기부터 시작하자.

引用:『몸의 말들』p14-15

 以下、私が意訳した文です 

(体の領域において、簡単で小さい実践などない。人生で一番難しいことは、自身を知り、変化させることだからだ。他人の視線に立ち向かう勇気、老いを受け入れること、病気の状態であってもそれが人生の大切な瞬間であるのだと思うこと。まずは他人の体についてあれこれ話しすぎないこと。それから始めよう。) 

 

우리의 몸은 마치 집과 같다. 

중략

혹시 도둑이 들어 내 물건을 도둑맞는 일이 생길지라도 그 도둑이 내 집까지 훔쳐갈 수는 없다.또한 집은 바깥세상의 시선으로부터 자유로워야 할 곳이기도 하다. 그리고 우리는 누군가의 집을 허락 없이 찾아가거나 어지럽히거나 함부로 하지 말아야 한다. 내 집이 아닌 남의 집에서의 나는 '손님'이므로 매너를 지켜야 한다.

引用:『몸의 말들』p114-115

以下、私が意訳した文です  

(私たちの体はまるで家のようだ。)

(もし泥棒に入られ物を盗まれたとしても、家まで盗まれることはない。また、家は外部の視線から自由でいられる場所でもある。そして私たちは誰かの家に許可なしに入ったり散らかしたりと、いい加減なことをしてはいけない。他人の家では’お客さん’であるのだから、マナーは守らなければいけないのだ。)

 

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상처 난 마음과 몸을 묻기로 결정한 나는 침묵했다. 이 시간만 잘 버텨내면 괜찮을 거라 생각했다. 그래서 자꾸만 삐져나오는 감정을 더 깊이 묻어두기 위해 노력했고 그럴수록 나는 스스로에게 더 가혹해졌다. 진솔한 마음이 드러나는 순간 인내해왔던 모든 시간과 노력이 무용지물이 될까 봐 두려웠던 것이다. 

 引用:『몸의 말들』p211-212

以下、私が意訳した文です  

(傷ついた心と体を胸の奥にしまっておくことを決意した私は、沈黙を選んだ。この時間さえ何とか耐え抜けば、大丈夫だと思ったのだ。だからしきりに飛び出してくる感情を、深いところに抑え込むよう努力した。そして、そうすればするほど自身を厳しく扱うようになっていった。率直な思いが姿を現した瞬間、今まで耐えてきた時間と努力が意味のないものになりそうで怖かったのだ。)

 

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愛、嫌悪の対象ではない、ただの”体” 

꼭 내 몸을 사랑해야만 할까? 책, 광고, 드라마, 영화등 미디어에서는 늘 말한다. 자기 자신을 사랑해야 한다고, 당신의 모습이 어떻든 당신은 그 자체로 아름답다고. 난 이 말이 완전 별로라고 생각한다. 때로는 날 사랑해야 한다는 마음 자체가 억압과 폭력이 된다.

引用:『몸의 말들』p43

 以下、私が意訳した文です 

 (自分の体を必ず愛さなければいけないのだろうか。本、広告、ドラマ、映画などのメディアではいつもこう言う。自身を愛さなければいけないんだと。あなたの姿がどうであれ、ありのままで美しいんだと。しかし私はその言葉が気に入らない。自身を愛さなければいけないという気持ちは、時に抑圧、暴力となるのだ。)

 

지지부진하게 사랑을 향해 나아가다가 더 깊은 혐오의 세계로 밀려나면서, 내 몸을 사랑하기위한 노력을 멈추었다. 이 선택은 나를 계속해서 혐오하겠다는 말이 아니다. 사랑하지도, 혐오하지도 않겠다는 뜻이다. 

引用:『몸의 말들』p44

以下、私が意訳した文です  

(愛に向かってもたもたと向かっている途中、深い嫌悪の世界に流され、私は体を愛するための努力をやめてしまった。しかしこの選択はこれからも自分を嫌悪し続けるという意味ではない。愛することも嫌悪もしないという意味だ。)

 

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私も最近まで、何があってもありのままの体を愛さなければいけない!と信じ込んでいたのですが、それはそれで新たなストレスになってしまうこともありまして。

自分をうまく愛せないことにまた嫌気がさして、自己肯定感が下がってしまうという悪循環に陥っていたんですよね。

でもこの本を読んで、体へ向ける視線が肯定でも否定でもない0の状態になったとき、初めて体が自分のものになることに気づけたというか。

 過剰になった体への執着を手放し、別に好きでもないし、嫌いでもないという状態にもっていくのが理想なんだなあと。

 

フェミニズムを学ぶのは簡単だけど、その考えを日常生活で、とりわけ自身の体で実践するのはすっごく難しいことなんですよね。

世の中は、美しくなれ!女子力を磨け!と体を飾り立てる情報で溢れかえっているし、体を常に評価し、適度に嫌悪していることを求められます。

 

ちなみに私はお洒落を楽しむこともあるし、服やメイクを友人から褒められて気分がよくなることもあります。

ただ、10代〜20代前半の頃と今とでは明らかに着飾ることへの感覚が変わったというか。

20代前半までは、着飾ること=体への嫌悪感を払拭するための行為だったんですが、今は、着飾らない自分が標準モード。

お洒落が自尊心を大きく左右する存在でなくなってきました。

 

最近はそばかすが増えても、お腹がぷよってなっても、体に悪口を言わないようにしています。かといって褒めることもせず(褒める=評価になるので)その代わりに「体よ(自分よ)いつもお疲れ。」と心の中で唱えます。

 

とはいえ体を評価してしまう癖が完全になくなったわけではないので、ある日また何かをきっかけに、美に敏感になってしまうかもしれないし、体に嫌悪感を向ける可能性だって大いにある。

おそらく一筋縄ではいかないだろうなあと。

 

まあ、なんとか無理のないペースで体と折り合いをつけていけたらいいなと思ってます。

 

★★★

 

てことで、今回は 『体の言葉たち』 - 愛でも嫌悪でもない体の話 の紹介でした。

同じ体、同じ人生はひとつとしてないこと。ひとりひとりが異なった事情を抱え、哲学を持って生きていること。

様々な視点からボディーポジティブや、ありのままの体で生きる価値とその難しさについて考えさせられるエッセイでした。

 

また邦訳版も出てほしいな。

8人の女性の中で起きている小さくてパワフルな革命が、日本にも広がってほしいものです。

興味を持たれた方は、ぜひ読んでみてくださいねえ。

 

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