2022-8 最近考えたあれこれ

 

こんにちは、そみです。

 

人間関係、食生活のことなど最近考えたあれこれの記録です。とても長い呟きになってしまいました。

 

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腰が重くなりつつある

 

2019年の秋頃、仕事や諸々の事情など身の回りのことが一旦落ち着いた。さて次は韓国にワーホリだ!と着々と準備を進めていた矢先、突然鎖国状態になってしまった。

韓国に定期的に渡ることが日々の生き甲斐だったから、初めはかなり強いストレスを感じていたのだけど、あれから3年も経つと当時のような猛烈な旅行欲は完全とはいえないけどかなり冷めてしまってる。コロナ禍になり、良くも悪くも人間、順応する生き物だなあとよく思う。

 

今年に入って少しずつ韓国に行ける兆しが見えてきたけど、ただでさえ準備や適応が大変なワーホリに感染症のリスクまで加わって、はい、ビザの発給再開されたので行ってきます!とはなかなかなれない。

今している仕事の一部を一旦停止しなきゃいけないこと、帰国後もまたその仕事を任せてもらえる保証はないことなども考えると、ただでさえ不安定な働き方なのにそこまでリスクを負っていくべきなのかとも思う。

と言いつつも、韓国に渡ってしたいことを書き出すとペンが止まらない。これをせずに死ぬなんて無理だという気もしてくる。あと1年悩むことで行けない理由がさらに増える気もする。準備しはじめるなら来年か...。

 

さて、たぶん生きているだろう1年後、2年後の自分はどんな選択をするのでしょうか。

 

 

胃が痛くなる関係とおさらば

 

1年ほど前からとあるきっかけで知り合った人に好意を向けられていた。

私は人に恋愛感情を持たない人だと当初から相手に伝えていたし、あなたが考える恋愛関係を私に期待しないならということでしばらく付き合いを続けていた。

初めは印象もよかったし、お互いが未知の分野に携わっていて話も盛り上がった。一緒にいる時間も楽しかった。

 

でも4回ほど会った段階で、私が初めに話したことが全く伝わっていないことが判明し、徐々に相手の言動に嫌悪感を抱くようになった。

会う回数が増えるにつれ、スキンシップを試みてくるようになったし(車内の密室空間で本当に恐怖だった)、料理が好きだと言っただけなのに手料理作ってと言ってくる。

「自立した女性」「知性ある女性」を褒め言葉だと思っているのも嫌だった。

とにかく頼ってほしいとか、あなたを理解してるだとか、会って間もない人に薄っぺらい言葉を言えるのは、さてはまとめサイトにのっているような恋愛マニュアルを参考にしてるのでは?と思ったり。

 

親密な関係を築きたい人とは必ず共有しておきたい認識もことごとく合わなかった。合わないだけならまだいいけど、性差別の問題は今の日本社会には存在せず過去のものだと言い切る姿にげんなりした。

 

連絡が来るたびに胃がちくりとするようになりもうダメだと思った。

といっても無下に既読無視などできないから、もう会えないと正直に話して今年の春に関係を終わりにした。

 

やはり初めての人に会う時は、相手のSNSなどの事前情報なしだと私はきついなと思い知った出来事だったし、なによりも「恋愛しないセクシュアリティっていっても、アピールを続けていればいつかそういう関係になってくれるだろう。ただ様子見したいだけだろう。」と思われてたことが一番悲しかった。

 

昔から人の中ですんなり馴染めたためしがないから、稀に人から親しくなりたいと言われると「え?私と仲良くなりたいだと?」とつい舞い上がってしまう。

今回もその気持ちに引っ張られて無理した結果、胃の痛くなる関係に発展してしまったのだけど、ただその人と合わなかっただけで特に私が反省することはないとも思う。

 

今回は良好な関係が築けなかったけれどこれがまたトラウマとなって閉じてしまうようなことは絶対にしたくない。

決して社交的ではないけれど、今後も話してみたい、仲良くなりたいと思ったら素直にそれを伝えたい。

 

 

ただ良い人に恵まれてるだけだった

 

他にも初対面の人からの質問責め(恋人の有無や家族構成など)に困惑したり、仕事上の人間関係(かなり少ないほうだけど)に心を削がれたり、この夏は他者との関係に疲れる瞬間がたびたびあった。

この2〜3年は今までになく良い人達に囲まれて過ごせていたから、あたかも人との関わりがうまくなったかのような錯覚に陥ってた。

安心安全な関係から一歩外にでると、固まってしまう。言動がぎこちなくなってしまう。

 

世間で共有されてるお決まりの質問に言い淀みなく答えたり、また私も相手にテンポ良く質問(本当に聞きたいと思ってないことでも)したりすること、沈黙を最大限避けること、面白くなくても笑顔を絶やさないことがコミュニケーション力の高さだとされてることにしんどさを感じる。中学生の頃から今まで苦しんでいることはいつもこれ。

 

「うう....さっきから相手からの質問がひっきりなしに続いてる...高速Q&Aや....これはそろそろ私も質問しなきゃいけないタイミング? でもこれは質問してもいいことなのか、いや、よくないか.... 自分だったら聞かれたら嫌だもんな...じゃあありきたりだけど趣味とか...?」

なんてことをおしぼりの端をつまみながら考えてたら、いつのまにか沈黙が漂っていて、その初対面の人が「何か私に質問ないですか?笑」と言った。

家に帰りたくなった。

 

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共感できなさ、わからなさに耐える

 

人と関わる上で、わからなさや共感のできなさに耐える練習が必要だなと思うようになってきた。

自分のこともよくわからないのに、ましてや相手のことがわかるというのは不可能なことで、相手の語りをわかった気になってつまりこういうことでしょと自分の想像の範囲内にまとめてしまうのはよくない。

何かリアクションをしないといけないと思って、「私も同じ経験をした」「あなたの気持ちはよく理解できる」とか安易に言わないこと。相手の語りは相手のものだということ。

 

と、頭ではわかっている。でも人と話すだけで精一杯になりがち&好きな人に好かれたい気持ちが前に出て失敗しがちな私は人との関わり方に常に悩んでいる。課題山積みだ。

ただ今は、わからなくても、共感できなくても、沈黙があっても、饒舌に話せなくても良い関係を築くことは十分可能だということに気づいたし、それを気づかせてくれた周りの人達にも感謝している。

 

めげずに日々学び続け、誠実な振る舞いを身につけていきたい。

 

 

カテゴリー分けとジャッジに忙しい

 

たまに立ち寄る服のお店の店員さんと立ち話をしたとき、話の流れで野菜を育てていることや、普段作ってる料理の話題になった。自分のSNSにも載せてる数枚の写真を見せると「へえ!いわゆる丁寧な暮らしの人ですね!」と言われた。

個人的にこの言葉があまり好きではない私は、自分の日々の生活を丁寧に美しくすることで社会がよくなるなんて微塵も思ってないぞ!!!と決めつけられたことにムッとしたけど、「私だってSNS上の、見せたい瞬間だけを切りとった日常だけを見て人々を判断してしまうことあるよな...」と家に帰ってから自分を顧みた。

 

人間は基本的に怠惰だから油断すると人をカテゴリ分けしたり、一部を全てだと思ったりしがち。こういう発言をしたからこういう人間に違いない、この趣味の人は〇〇系だろうとジャッジするのに忙しい。でもそれを自分がされたら不機嫌になる。

 

人を傷つける行為への批判は例外だけど、時に判断のスピードを落として保留することも必要だということ。自分が見てる他者の姿は極めて限定的であるということ。常に頭にいれておきたいなと思う。

 

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肉と野菜栽培

 

数年前から徐々に徐々に肉を食べる量を減らしている。毎日なんらかの肉を口にしていたところを、週3回程度にすることを目標にゆるく続けている。

住んでいる環境(日々一緒に食事する人に合わせてもらわないといけないことや、田舎には菜食レストランがないことなど)、ワークスタイル(仕事が忙しい時期は植物性タンパク質のみの献立を考える余裕がなさそうなど)などを考えて今の自分にはビーガンは無理だと判断したけれど、それでも肉食文化の闇を知ってしまった以上、せめて頻度を減らそうと思った。

 

一時的に肉をやめてみたこともあったけれど強いストレスを感じた。

今の自分には週3ペースがちょうどいいし、誰かと食事をするときは食べる、ひとりのときでも食べたくなったら我慢せずに食べる、でもどちらでもいいときは肉を選ばないとルールを決めている。

日々の食事も楽しみつつ、動物や環境に負担のないスタイルをもう少し模索してみたい。

 

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献立に今まで以上に気を配るようになってからは野菜を買う量がとても増えた。

家の近くに農協スーパーがあり、そこで新鮮な無農薬野菜などを買っているのだけど、お金と交換しないと食べ物を手に入れられないことがある時窮屈に感じられた。

肉を減らすと同時に野菜作りも始めることにした。

大の虫嫌いの私にはきつい瞬間もあったけど、プチトマト、えごまの葉、ビーツ、韓国かぼちゃ、ナスの栽培に成功。農協のスーパーに行く頻度もぐんと減った。

種代や土代など初期費用は必要だけど、お金と交換することなく手に入れた野菜。自分の手で育てた野菜。これを食卓に並べると不思議と安心感が生まれる。

ただのものなどない、何にでも価格がつく資本主義社会の中で、ほんのわずか解放される瞬間が毎回嬉しい。小さな逸脱をこれからもちまちま増やしていきたい。

これを自分ひとりではなく、他の人も巻き込んで野菜交換とかしあえたら楽しいだろうなあ...なんて想像しながら今日もエゴマの葉によってくるバッタとたたかってます。

 

 

 

2022.8 

2022 春 日常 視線

 

2022-3 2022-4 2022-5

 

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犬を撫でて、美味しいものを作って、コーヒー淹れて、それを動画や写真で記録して、働いて、本読んで、時々好きな人達に会って。

これを繰り返していたらあっという間にもう蚊が部屋に入ってくる季節になってしまった。(先日、初刺され(?)した)

日に日に時が経つスピードの最速記録を更新しているようで、今が何月で、今日が何曜日で、ひどいときは自分が何歳なのかもこんがらがってしまうことがある。

誰にも何も言われない生活を送っているのに、いつも後ろからお尻をポンポンと叩かれている感じ。

何に焦っているのかも分からないし、焦って次へ次へと進んだところでその先に何があるのかもわからない。

だから今はその焦る気持ちを制御しつつ、なるべく今のことだけを考えるようにしている。

未来のための行為(例えば仕事をもう少し広げるなど)は、体力気力不足で今の自分には無理だと判断した。また回復したらいつかの自分がやってくれるだろうと思う。

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