どうも、そみ(@somi_koguma) です。
フェミニズムに出会ってから、生活にいろいろな変化が出てきたっていう話は以前も書きましたが、それ以外にも自分がなりたい理想像が変わったことも大きいなと。
数年前まで私の目指す理想の自分ってすごく受動的だったんですよね。
常に控えめでサブ的な位置になることを無意識に望んでいたというか、最終的に誰かが選んでくれる、サポートしてくれるっていうのが常に頭の隅にあったわけです。
だから健康を害してまでお洒落をしていたし、意見をはっきり言うより相手に合わせるほうを選んでいました。
今も完全にその意識がなくなったわけではないんですが、フェミニズムを学んで以降、能動的に自分が望むものを掴んでいくっていう姿勢に変わってきていまして。
最近もTwitterに書いたことなんですが、韓国の作家さんたちが気軽に「お金稼ぎましょう!人生楽しみましょう!」って挨拶しあって豪快に笑っていて、「ああ、素敵」って思ったんですよね。
私が好きな韓国の作家さんたちが、挨拶くらいの感覚で「お互い、お金いっぱい稼ぎましょう!わははは!」って言ってるの、好き。
— 𝑠𝑜𝑚𝑖 🌿 (@somi_koguma) 2020年6月10日
そういう言葉を女性同士が自然に使ってる光景、いいよなあ。
お金稼げるって、自信に直結するもん。
女性が「お金稼ぎましょう!」って自然に言う光景、私は今までの人生であまり見てこなかったし、そういうことを言っていいのは男性だけっていう固定観念があったんです。
ああ、自分を縛っていたんだなって。
丈夫な身体と心、稼げる力、知性、全て”女性のものじゃない”っていう価値観の中にいたんだなと。
そして稼ぐこと、飾ることについて考えていると、個人の力だけではどうにもならない社会問題なんかも見えてきて、多くの女性が稼ぎたくても稼げない状況にあること、多くの女性が自分の体の機能を無視するようになっていることにも気づいたんですよね。
ま、今回は私個人の話が中心となりますが、ここ数年で起きた心情の変化や身体への意識変化についての呟きです。
見せる身体から機能する身体へ
先ほどお話しした作家さん達の姿を見て、自分がこれからどうなっていきたいんだ...といろいろ考えてみたんですが。
まずは丈夫な身体を作りたいなと。
誰かに見せる身体から、ちゃんと機能する身体にしたい。
私は昔から病気がちで長年あらゆる不調と付き合ってきたので、健康な状態へのありがたみっていうのはよくわかっているつもりだったんですが。
体の調子がよかった20代前半に飾ることを始め、機能より装飾を重視した生活を送ってきまして、最近「あ、これはまずいぞ」と思ったんです。
「私は今も十分健康です」「細さと健康を両立できます!」っていう女性もいるかもしれないけど、やっぱ男性と比べると”自ら”機能を制限している部分って絶対あるんですよね。
自分の身体を丈夫にしてドンッと構えることよりも、飾ること、見せることを選ぶ人が多い。
過激なダイエットをしたり身体を締め付けたり、寒いのに薄着したり、肌に悪い化粧品使ったりとか.....まあ、挙げ出すとキリがないのですが、とにかく見せることに重点を置きすぎて、いざというときに思いっきり身体を動かせられない、しなやかに動かすことができないっていう状態になってることもあるんですよね。
私の場合も、自分の身体が健康的にのびのびと動くことよりも、長年”見せるための身体”を保ってきた人なので、いざというときに力が出ない。
走らなきゃいけないときに走れないし、見た目や髪型が崩れることを気にして思いっきり身体を動かせない。
皮膚が弱いのにヘアカラーをし続けたり、生理痛がひどいのに薄着をしたり。
身体の機能を無視していたことってたくさんあるんですよね。
そんな状態が当たり前だったし、小さな違和感があったとしてもそれが女性として生きることだと思っていました。
でもある日「ああ、なんか私の身体、全然機能してないな、自分のものじゃなくて他人のものになってるな」って、鏡を見て思っちゃいまして。
そこからは少々の欠点も放置し、それよりもちゃんと動く身体を作ることが優先になりました。
今でも身体には筋肉もあんまりないしぽちゃっとしてるので、全然丈夫な身体じゃないんですけどね。
だから身体の機能を取り戻す運動をするのが当面の課題。
お洒落に関しても、今でも友人に会う時は化粧したり、ちょっと動きにくい服も着たりしています。
でも昔はそれが「標準スタイル」だったんですが、今は「これはあくまでも装飾中」って頭の中でモードを切り替えられるようになりました。
それだけでもかなり心が楽になったんです。
どこかに遊びに行くとき以外は基本スッピン。
ヘアカラー、ネイルもしないようになって、半年以上が経ちましたが、今は飾ることのほうがサブになってきている感覚があります。
毎日続けている運動でついた足の筋肉を見て、スッピン生活でキメが細かくなってきた肌を見て「よし、健康的な身体になってるぞっ!」「強くなってきてるぞ!」って本物の自信が湧いてきてるので、少しは前進しているのかも。
不思議。昔の自分はそんな状態の自分は醜いって思ってたのに。
とはいえ頭にインストールされた美の基準、女のあるべき身体の呪縛から解放されるには時間がかかりそうです。
やっぱりスタイルがよくて綺麗な芸能人を見ると、「ああ、いいなあ」と思っちゃうし「まだお洒落や美への追求を楽しめる年齢なのにこんなマインドでいいのかな」と思うこともあります。
それに社会の常識はまだまだ凝り固まっていて、化粧がマナーだとか、女性は華奢じゃなきゃいけないとかいう輩がゴロゴロいるんですから。
世間が決めた美の基準からちゃんと機能する丈夫な身体へと、自分の身体に正しく自信を持てるようになるのは至難の技です。
だから私ひとりだけが努力するのではなく、同時に社会の古い基準にも声をあげたいし、ルッキズムとかセクハラとかそういう問題にも引き続き関心を持っておきたい。
私とほかの女性の体を守るために考えなきゃいけないことは山積みです。
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能動的に稼ぎ、学び、動く人になりたい
稼げる力をつけたいっていうのは最近できた目標でして。
私は長年、できるだけ働きたくないし女はそんな稼げないんだろうっていう少し諦めモードのスタンスで仕事をしてきたんです。
でも最近あるフェミニストの方のインタビューを聞いていたとき「女性が自信を取り戻すには、まず稼ぐこと。そしてそのお金で能動的に学び、行動してください」って仰っていまして。
堂々と夢を語り、豪快に笑っておられる姿がすごく新鮮に感じたんですよね。
というのも、私は自分の存在を主体的にお金を稼いだり学んだり夢を語ったりする存在ではなく、誰かに見せるもの、サブ的な位置、お洒落や娯楽を楽しむ存在って無意識に思っていたんですよね。
ミソジニーをがっつり内面化してました。
だからまずは足枷となっている"女は本格的に稼がなくてもいい"、"結婚する存在だから、サブ的な位置でいい"といった家父長的な考えを自分の中から追い出すことが第一歩なのかなと。
だから最近は男性のものだった言葉を積極的に使い、能動的なマインドに変えるようにしています。
「出ていけ、私の中のミソジニー!」と叫びながら。
しかし一方で、個人の努力だけじゃ乗り越えられない壁もたくさんありまして。
実際問題、文化資本の格差とか男女の賃金格差とか女性が稼げるような状態になるには、これまた問題山積み。
個人の問題ではなく社会の問題であることもたっくさんあるので、 女性だって努力したら稼げるようになる!といった言葉は無責任だったりします。
主体性を放棄するしかないっていう状況にある人も大勢いると思うし、実際私の周りにも経済的な安定のために結婚した友人が数人います。
そのたびに、女性の主体性というのはいとも簡単に社会に剥奪されるんだなと、やるせない思いになります。
私も今はこうやって夢とか理想を語ったりする余裕がありますが、いつ主体性を手放すことになるかわかりませんからね。
世の中の流れを見ていたら全然他人事じゃない。常に恐怖と隣り合わせです。
だから自分の人生のために学び、努力しつつ、引き続き社会の流れに関心を持ち、声を上げ続けることも同時進行しなきゃいけないとも思ってます。
学べば学ぶほど、自分が変われば変わるほど、社会が全然変わらないことに絶望しちゃいますが…。
それでも一個人の意識が変わったことは微力ながら社会にも影響を与えられていると信じたいです。
はやく世の中の女性が丈夫な身体と本当の自由を手にし、安心してガハハと豪快に笑える時代がきてほしいですね。
死ぬまでにはそういう光景を見たいな。
ということで、私のつぶやきでした。
ではっ。
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