※本ページはプロモーションが含まれています
こんにちは、そみ(@somi_koguma) です。
先日、韓国のインタビュー本『말하는 몸 1』 ( 話す体 )を読み終えたので、いつものようにここに記録しておこうと思います。
数百個の体、数千個の質問
『말하는 몸 1』 ( 話す体 )は100名以上の女性、性的マイノリティの方へのインタビューを行ったポッドキャストチャンネル、’話す体’を書籍化したもので、コールセンターで働く人、高校生、政治家、ジムのトレーナー、詩人、人権運動家、化粧品カウンセラー、劇作家、セウォル号沈没事件の遺族、障がいを持つ人など様々な立場、事情を抱えた人がインタビューに参加。
体にまつわる最初の記憶、自分の体にポジティブな、またはネガティヴな感情を抱いた瞬間、月経、妊娠、運動など体の変化を感じた瞬間、他者から向けられた視線など、ひとりひとりがそれぞれの言葉で体の歴史を語っています。
女性や性的マイノリティが声をあげる機会は徐々に増えている。でも一方でMeToo運動なんかでも指摘されていたように、声をあげられる人が比較的影響力や経済力のある人に偏りがちで、不安定な立場にいる人たちにマイクがパスされる場所、機会はまだまだ少ないなあと思っていて。
だから特別な人脈も社会的地位もない人たちの語りが1冊の本となり、その声が多くの人に届けられるのはとても素晴らしいことでもあるし、自分の声がかき消されてしまう、存在しないものとされるかもしれない、といった恐怖を抱えている人にとって、この本は小さな希望の光にもなるなと思いながら読み進めました。
インタビューに参加した人の中には、こうやって誰かに話せるようになるまで10年もかかったと話しておられる方もいて、「声をあげなきゃいけない」というメッセージは誰かにとって時に圧になるのだなとも思ったし、背負っている傷を誰かに話せるようになるまでに要する時間も人それぞれ違うこと、そしてどれだけ時がすぎても到底話せないのなら話す必要はないんだと。そんなことも考えながら読みました。
インタビューによっては、人々の語りに大衆受けするようなストーリーやイメージを勝手につけ加えたり、望む方向に誘導したり、後日確認したら当事者が意図していない内容にまとめられていたなんてこともあるけれど、この本にはいろんな苦難を乗り越えて結局、母性や絆礼賛に着地.....といった、聞き手に都合のいい内容になってないのがよかったです。
1人の人間の揺らいでいる部分、正直な心境をそのまま丸ごと伝えるぞ、というインタビュアーのパク・ソニョンさん、ユ・ジヨンさんの誠実さも伝わってきたし、そのおかげかインタビューに参加した方達が安心して語っているような印象を受けました。
ではここからは付箋を貼ったページの一部を紹介します。
나를 온전히 사랑하고 받아들이라’는 이야기를 많이 하는데, 그건 판타지라고 생각하거든요. 완전하게 내 몸을 받아들이는 일은 불가능하다고 생각해요. 오늘 더 만족을 느낄 수도 있고, 내일은 어제 안 보였던 불만이 생길 수도 있고. 그래서 ‘내 몸을 받아들이자!’라는 구호 대신에, 매일 지는 싸움이 되더라도 매일 나의 몸에 대해 반성할 필요는 없다는 생각이 제겐 필요해요. ‘조금 더 사랑하자’가 아니라 ‘어제보다 조금 덜 미워하자’. 이걸로도 충분한 거 아닌가요?
『말하는 몸 1』p327
以下私が意訳した文です
(よく ’ありのままの自分を愛し、受け入れよ’と言われるけど、それはファンタジーだと思うんです。完全に自分の体を受け入れることなんて不可能だと思います。今日はいつもより自分の体に満足できる、ということもあれば、明日になれば前日にはなかった不満が生じるかもしれない。だから私には’自分の体を受け入れよう!’というスローガンの代わりに、毎日自分の体について反省する必要はないんだ、という考えが必要なんです。それが毎日負けてしまう闘いになるとしてもです。’もう少し愛そう’ではなく’体を憎む感情を昨日より少なくしよう’ これだけでも十分じゃないでしょうか。 )
일상으로 돌아가려고 노력하면서부터는 ' 피해자답지 않게' 보이려고 노력도 많이 했고, 유가족이라는 것을 누가 알아채지 못했으면 좋겠다고 생각도 했어요.
남성 희생자인 제 동생 사진을 보고도 ' 잘생겼다' 는 댓글이 있기는 했지만, 희생된 여학생들에게는 더한 댓글들이 달리는 거예요.
왜 여성 피해자에게는 이런 평가를 하는 걸까, 왜 같은 피해자인데 여성 피해자들만 이런 시선으로 바라볼까, 생각했던 것 같아요. 왜 여성은 고통받는 순간에도, 살아 있을 때도, 죽어서도 그렇게 평가를 당하는 존재여야 하는가.
『말하는 몸 1』 p237-238
以下私が意訳した文です
(日常を取り戻そうと努力し始めてからは、’被害者らしくなく’ 見えるようにたくさん努力したし、遺族であることを周りに気づかれたくないとも思いました。)
(男性犠牲者である私の弟の写真にも、’イケメンだ’といったコメントがつくけれど、犠牲となった女子学生にはもっとひどいコメントがつくんです。)
(どうして女性被害者にはこのような評価をするのだろうか、どうして同じ被害者なのに女性被害者だけにこのような視線を向けるのだろうか、どうして女性は苦痛を感じている瞬間も、生きているときも、死んでしまったあとも、そうやって評価される存在でなければいけないのか。)
부끄럽지만 부끄러워할 필요가 없다, 극복할 필요도 없다, 이게 지금 제 안에서 응원받고 있는 문장입니다. 적어도 저의 페미니즘은 털에서 시작됐거든요. 『말하는 몸 1』p64
以下私が意訳した文です
(恥ずかしいけど恥ずかしがる必要はない、克服する必要もない。今この文章に励まされています。少なくとも私にとってのフェミニズムは体毛から始まったんです。)
이 사회는 임신한 여성의 몸에는 관심이 없어요. 임신부들도 자조하면서 현대의학이 아무리 발전해도 임신부들은 열외라고, 현대의학에 버림받았다고 이야기하거든요. 여성의 몸을 재생산 도구로만 보는 학계의 인식에 의한 거라고 생각해요. 그 피해는 임신한 여성이 오롯이 겪고요. 사회는 모성으로 극복하라고 이야기해요. 이게 극복해야 할 문제는 아니에요. 임신부가 조금만 고통스러운 티를 내면 모성이 없다고 말해요. 여성의 몸은 아기를 낳기 위한 모체로만 존재한다는 거예요. 저에게는 이날 아팠던 기억이 현대의학에 버림받은 아픔으로 각인된 것 같아요. 사회는 재생산에만 관심을 가지고, 아기를 살리는 게 먼저더라고요.
『말하는 몸 1』p108
以下私が意訳した文です
(この社会は妊娠した女性の体には関心がないんです。妊婦たちも自嘲しながらも、現代医学がどれだけ発展しても妊婦は例外だと、私たち妊婦は現代医学に見捨てられたんだと話してます。これは女性の体を再生産の道具とみなす学界の認識によるものだと思うんです。そしてその被害は妊娠した女性だけが丸ごと味わわないといけない。社会は母性で乗り越えろと言いますが、これは克服しなきゃいけない問題ではないと思います。妊婦が少しでも辛そうにしたら母性がないと言われるし、女性の体はただ子どもを産むための母体として存在するんだとも。この日の辛い記憶は、私の中に現代医学に見捨てられた痛みとして刻み込まれたように思います。社会は再生産にだけ関心を持ち、いつも赤ん坊を助けることが優先なんです。)
그렇게 열 달 동안 제 몸을 희생하면서 고생한 산모가 출산의 순간에 ˝나보다는 아기를 살려주세요˝ 라고 말한다는 건 아기를 낳아보지않은 이들의 환상이 아닐까 생각해요. 아기랑 저는 초면이거든요. 저는 아기를 낳고서 아기를 낳았다는 느낌보다는 아기를 배출했다는 표현이 더 와닿았어요. 아, 나 살았다. 죽지 않았다. 아기가 내 배 위에, 올라온다고 해서 감격스럽지 않았어요. 내 배 위에 올라온 아기는 너무 낯설었어요. 출산하고 울었는데 살았다는 안도감에 운 거거든요. 『말하는 몸 1』p109
以下私が意訳した文です
(そうやって10ヶ月もの間、自分の体を犠牲にしながら苦労した妊婦が、出産する瞬間に’私よりこの子を救ってください’と言うのは、出産経験のない者達の幻想ではないかと思います。だって赤ん坊とは初対面なわけじゃないですか。私は赤ん坊を産んだあと、産んだという感覚よりも赤ん坊を体から排出したという表現がよりしっくりきたんです。「ああ、助かった。死ななかった。」と。赤ん坊が私のお腹の上にのせられたからといって感激はしなかったし、私のお腹の上にのせられた赤ん坊に親しみを持てなかったんです。出産後泣いてしまったんですが、それは助かったことへの安堵感によるものでした。)
제가 당사자지만 저조차 정말 함부로 말하지 못하겠는 게, 하나의 감정으로 결론지어질 수 없는 부분이 훨씬 크더라고요. 너무 속상하고 화가 난다고 해서 그 사람을 배척하면, 행복했던 기억들까지 날아가버려요. 그런데 또 행복했던 기억을 지키기 위해서 안고 있다보면 저 자신이 너무 다쳐요. 그런 모순이 있어요. 『말하는 몸 1』 p146
以下私が意訳した文です
(私は当事者ではあるけれど、私でさえもむやみに何か言えないです。というのも、ひとつの感情で結論づけられない部分のほうがずっと大きいんですよね。本当に悔しいしムカつくけれど、その人を排斥したら幸せだった記憶まで全て消え去ってしまうし。だからといってその幸せだった記憶を守るためにと抱え込んでいると自分自身が傷ついてしまう。そういった矛盾があるんです。)
자신이 이해하지 못한다고 해서 존재하지 않는 건 아니라는 말씀을 드리고 싶어요. 단호하게 ‘트랜스젠더나 논바이너리는 없다‘ 라고 말씀하시는 분이 있어요. 그렇게 말하는 분 주변에도 분명 논바이너리가 있을 거거든요. 저는 분명 이 이야기를 듣는 사람들 중에도 논바이너리가 있을 거라는 생각이 들어요. 당신이랑 같은 사람이 있다. 당신이랑 비슷한 사람이 여기 있으니 같이 살아남자는 이야기를 하고싶어요. 살아남아서 성별 이분법이 타파된 세상을 같이 보고 나서 죽자는 이야기를 하고 싶어요. 『말하는 몸 1』p172
以下私が意訳した文です
(自分が理解できないからといって存在していないことにするのは間違ってると言いたいです。’トランスジェンダーやノンバイナリーはいない’と断言する人もいます。そういっている人の周りにも必ずノンバイナリーの人はいるし、今私の話を聞いている人の中にもいると思うんです。あなたと同じ人がここにいるんだと、あなたと似ている人がここにいるから一緒に生き残ろうと伝えたいです。生き残って、性別二元論が打破された世の中を一緒に見てから死のうと伝えたいです。)
★★★
「こういうのって誰でも経験する」とか「世の中ってそういうものだ」とか「誰も傷つかない社会など綺麗事だ」とか、そういった言葉が溢れかえる社会に生きているからこそ、ひとりひとりの語りに真摯に耳を傾けた本や作品などは常にそばに置いておきたいなあと思っていて。
この本も、自分や他者の痛みを当たり前だと思わないように、慣れ切ってしまわないように、定期的に読み返したい1冊です。
いつか日本語翻訳されたらいいなあ。