2022-23 冬 日常 視線

 

今年の目標はこまめにブログを更新する、だったのにあれよあれよと時がすぎ、気づけば3月に。一月往ぬる二月逃げる三月去るというのは本当だなと。

 

 

1月と2月はとにかく仕事に追われる日々だった。韓国の知人から紹介してもらったベンチャー企業の翻訳の仕事も始まり、2月初旬は納期ばかり気にして過ごしていた。

韓国の企業と仕事をしたことは今までも何度かあったけど、毎回契約から納期日までの短さ、連絡のテンポの早さなどに驚く。急な追加依頼、変更などにあたふたすることもあり、とりあえず細かいことは気にせずにやりながら微調整していきましょうなこの感じ久しぶりだなと留学時代を回顧したり。

ひとまず無事に納品し、一息ついていたら3月になってしまった。

 

また、血縁関係にある人たちとのごたごたもあった。今回の件で改めて血縁関係は本当に無理だなと思ったし、ある程度の法律の知識、すぐに相談できる専門家の確保など、身を守るために普段から準備しておけばと後悔もした。

今回は迅速に専門家に相談でき、指示に冷静に従ったことで事なきを得たけど、縁を切ったも同然の親族の尻拭いをさせられた悔しさに心がどす黒くなってしまった。

憤ることはとても消耗するし、そこそこのところで切り捨てたいけれど、そう簡単に切り捨てられないのが血縁の厄介なところ。この制度、いつになったら見直されるんだろう。

 

 

この冬の自炊も韓国料理ばかり。トゥッペギ大活躍です。

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世の中は着実にコロナ緩和が進んでる。コロナ前の活気が戻ってきてるのは喜ばしいことでもあるけれど、マスク不要になったり5類になったからといって、感染したら仕事に支障が出ることに変わりはないしなーと、手放しで喜べなかったりもする。 

 

 

コロナに限らず、自然による不都合をあまりにも効率よく、短期間で、解決できすぎてるな(もしくはそう演出してる)と感じることが多々ある。

人間の尺を自然に当てはめることも傲慢だと思うし、原発事故なんかも、人間の感覚ではもう遠い過去のことでも自然の軸からしたらまだほんの数日前の出来事なのかもしれないし。なにも解決してないのに解決したかのような演出。見掛け倒しでどんどん進み、非効率なものを置いてけぼりにしていく。

人間は自然をコントロールできて、どんな困難も短時間で効率よく解決できる!と盲信してる様子を見ると、それは本当に復興ですか?そこからこぼれ落ちた存在は忘れることにしたんですか?と問いたくなる。

そして自分の生活もまたそういった犠牲の上で成り立っていることを考えため息が出る。どうするのがベストなのかわからないけど、連日のニュースを見てこれじゃない感が自分の中で膨らむ一方。

 


立春に誕生日を迎え、20代も残すところあと1年に。

胃腸が弱くなりソバカスが増え、確かにちょっと歳とったなと実感することはあるけれど、へぇ、29歳ってこんなもんかというのが正直な感想。内心恐れていたこと、世間の人達が30歳までにこれをしないとやばいと言ってたことはひとまず起きてない。

 

誕生日当日は特別何かをすることもなく普段通り仕事をしていたのだけど、友達からプレゼントが届いたりメッセージが届いたり、姉がケーキを買ってくれたりと、日々近くにいてくれる人達の存在を強く感じ、ありがたーい気持ちで一杯に。

 

勉強が強制されない立場になって7年も経つと、学び続けなければという気持ちはあるものの、即座に活用できる、生計のための学びに時間を使うことが徐々に増えてしまったり、無慈悲に流れていく日常をなんとか平穏に保つことで精一杯になったりする。

すでに暗記力や長文読解などが弱くなってきている実感もあるし、好奇心に突き動かされることより損得勘定で動くことが増え、なんだか自分がなりたくなかった類の人間に近づいてきてる気がする。

どうしたら自らを刷新できるだろうか、学びによって日常に鮮やかさを取り戻せるのだろうか、そんなことを最近はよく考えている。

 

 

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日々、可愛さ記録更新中のラキさん。この冬頃から私を完全に信頼した姿、とびきり満面の笑みを見せてくれることが増えた。スマホのストレージは全部ラッキーに捧げてます。

 

2023 冬の記録