どうも、そみ(@somi_koguma) です。毎日暑いですね。
今回は、この半年くらい考えてたこととか、日常の中で変化したあれこれを記録しておこうかなと思います。
仕事の話
今の働き方を始めて4~5年(正確にどれだけ経ったか忘れてしまった)
メインでしている仕事は慣れをこえて、少々マンネリ化している。
楽しいときもあるし、経験値がたまっていく感覚もあるけれど、あくまでも生計のためにやってると割り切る感覚がほかの感覚よりも年々強くなってきていて、このままじゃちょっといけないなとは思っている。
2019年時点では、韓国を拠点にできる仕事を増やしていこうと思っていたのだけれど、その計画も水の泡となり、この2年はあまり変化を求めず淡々とこなしてきた。
独立当初、これからどんなことを生業にしようか考えたとき、自分の中にいくつか条件があった。
ひとつ目は理不尽な規則に振り回されない仕事、ふたつ目は、誰かを搾取しない仕事(例:あたかも良いと見せかけて、実は原材料が粗悪なものを売るとか、しかもその事実を売る側もわかっているとか、、、)
とりあえず今している仕事は、どれもこの条件には当てはまっていないから5年も続けてこられたのだけど、コロナ以降ガクッと仕事量が減って、一時は違う仕事もしようか考えた。
けれど、調べれば調べるほどこの条件にあてはまる仕事が多すぎて、結局いましてる仕事がベストだなと原点に戻った。
とはいえ、お!これは!と興味を持った仕事が現れたら、すぐに方向転換できるくらいの柔軟さは持っておきたい。
いざチャンスが舞い込んできたときに「才能も自信もないから、今更慣れ親しんだ仕事から離れられない....」なんて、弱腰になる30代40代の自分がうっすら想像できるから気をつけたい。
食べているものの話
昔から口に入れる食材はかなり吟味するタイプだったけど、年々、選ぶ基準が厳しくなっている気がする。
食品添加物はもちろんのこと、企業名とか(倫理的にアウトだと思った会社のものは食材に限らずなるべく避けてる)、公正取引されてる商品かどうかとか、いくつかの項目をクリアした食材だけを買うようにしているせいか、スーパーの滞在時間が日に日に伸びている。
でもこれはあくまでも私個人のこだわりであって、人に強制したり、おすすめしたりしてはいない。みんな好きに食べればいいと思っている。
こういう話を誰かにすると、だいたい返ってくる反応は「え?気にしすぎでしょ」「そんな食費にお金かけられないから」の2パターンだし、強制していると思われるのだけは嫌だから(私はこうしていると言っただけでも圧力を感じる人もいるそうだから)普段は自分の心の中にそっとしまっている。
確かに傍から見たら気にしすぎなのかもしれないけど、これだけは周りから意識高いと冷笑されようと譲れないポイント。
まあ、なんでここまで食にこだわってるのかというと、高校生のころから「世の中、病気の人多すぎないか?」という素朴な疑問があって、それを長年かけて自分なりに調べて考えた結果、”長期にわたって食べてる食材が体に与える影響のデカさ”に気づいたから。もちろん他にも要因は山ほどあるけど、多くの人にとって(過去の自分も含めて)、血となり肉となる食材が盲点となっている気がしてならない。
メディアを見ていると「家計に困ったら食費を徹底的に削りましょう!」「安さこそが正義です!」といった内容が流れてくるけど、「え、、でもそのあと莫大な医療費払うことになったら意味なくないか?むしろマイナスにならないか?」と思ったりもする。
ま、これも人によって価値観が違うし、事情も違う。
どれだけ食にこだわれるかは、長時間労働とか経済面の問題とも深く関連しているし、食べ物にこだわっているからといって100%病気にならないというわけでもない。
ただ、私の場合は自分が体に入れたくないなと思うものをなるべく避けたほうが、後々病気になったときに後悔しないだろうなと思っている。
もちろんオーガニックのものだけで全食材をそろえようとしたらとんでもない食費になるから、さすがにそこまで追求していないけれど、いろいろリサーチしているうちに、そんなにお金をかけなくても安全なものが手に入ることもわかってきた。
とはいえ、甘いものもインスタントヌードルも大好きだから時々食べてるし、旅行や外食、カフェ巡りをするときは、さすがにそういう基準を持ち込まないようにしている。そこまでしたら自分も周りもストレスだから。
でも基本的な姿勢は、低農薬・無添加・地産地消・菜食・フェアトレード。
今後もお財布と体の状態を確認しながら、納得のいく食事を模索していきたい。
体、生理の話
私は肌がすごく弱い。この数年でさらにそれを実感している。
暑くなっても、寒くなっても、少しの刺激ですぐに赤くなる。春夏の日差しに数十分当たっていると、真っ赤になって夜はヒリヒリ火照る。しばらく痛い。
歳を重ねれば多少は強くなるだろうと思っていたけれど、おかしいな、むしろ弱くなっている気がする。
だから冬以外は日焼け止めと帽子が必須だし、こんなんだから自然と屋内で過ごすことが多い。
できれば何も塗らず、何も持たずポーンと外に出たい。
焼けてもへっちゃら!なんて言ってみたい。
肌が真っ赤になって数日苦しむことを考えなくてもいいのなら、海とか野外プールに長時間浮いていたい。悔しい。そこそこの大人になったのに、日差しを楽しみたい願望が膨らむ一方。
だからこの夏は夕暮れ時に海か湖に行って、ぷかぷか泳ごうかなとひそかに計画を立てている。誰を誘うか、どこへ行くかはまだ決めていない。
そういや今年、長年の悩みだった生理痛からほぼ解放された.....!とぬか喜びをした。
というのも、なんと1月〜5月までの間、鎮痛剤がなくても意識をしっかり保って過ごせたのだ。
生理初日なのにYoutubeで流れてきたk-popのダンスを見真似して、ふりふりと踊れるくらいの余裕っぷりだった。
おそらく数ヶ月かけて飲んでいた漢方と、運動による冷え体質改善のおかげだろうと、思いのほか努力の結果が早く出て大喜びだった。
何十年も苦しんできた月1の痛みから、ようやく解放...!と喜んでいた矢先、6月にまたどかーーーんと痛みがやってきたのだけど、これは私が漢方を飲み忘れる日があったことが原因かと思ってた。
しかし、ちゃんと毎日忘れることなく飲んだ7月もまたもや下腹部にどかーーーん。
痛みに加え、全身のだるさと吐き気、睡眠薬を飲まされたような眠気がまたやってきた。
漢方の先生が、体は油断すると元の体質に戻ろうとすると言っていたから、継続して体質改善していかないといけないんだろうなあ。
ふう、体と向き合うのは根気が必要。
韓国語の話
年に数回韓国に行って友人と話していたから、韓国語のスピーキングはそれなりに保てていた。
しかし、たまに友人とビデオ通話をする時間を除いて、まとまった時間韓国語を話す機会がほとんどなくなってしまった。
韓国語を話さない期間が少しでも長くなると、私の場合語彙力が落ちるのではなく、舌が回らなくなる。噛みまくってしまう。ひとつひとつ発音を確かめながら、ぽつりぽつりと話すようになってしまう。
数時間話していると自然と感が戻るのだけれど、今回はブランクが長すぎて恐れている。
だから最近は韓国語でひとりごとを言ったり、ドラマの台詞をシャドウイングしたり、積極的に韓国語の口に戻すようにしている。
あと、早口言葉にも挑戦している。
간장공장 공장장은 강 공장장이고 된장공장 공장장은 공 공장장이다.
......私ができるのは今のところこれだけ。
聴いてるもの、観てるものの話
作業BGMの定番はペク・イェリンのプレイリスト。
全アルバム、春夏秋冬いつ聴いてもいい。らぶ。
特にSquareは夏に聴くと体感温度が下がる。爽やかな風が脳内に吹き込んでくる。私はこの曲を勝手に「聴くクーラー」と呼んでいる。
『광고없음』 2021 백예린 노래모음ㅣBest Songs of Yerin BaekㅣPlaylist - YouTube
あと先月からsiblings singingにもはまっている。お二方とも美声。歌い方もお洒落。
最近Netflixで観ているのは『賢い医師生活シーズン2』と『美食の起源』
ドラマ『賢い医師生活』は、めちゃくちゃ楽しみにしていたのだけれど、現時点ではシーズン1のほうが好きかなあ。理由はいろいろあるけど、ネタバレになるから書かないでおく。でも、チュ・ミナ ソンセンニムは今回もとびきり可愛い。好き。
『美食の起源』は中国のドキュメンタリー。甘粛省とか雲南省の食文化に興味があるからみている。
甘粛省(特に蘭州、敦煌)は一度は行ってみたいし、蘭州牛肉麺を現地ですするのが小さな夢だったりする。
今まで見たこともない料理、予想の斜め上をいく調理法がひっきりなしに飛び出してきて、見ながら「おー!へー!ほおー!」しか言ってない。
世界は広い。知らないことはまだたくさんあるし、できれば頭と体が元気なうちに、すべて自分の五感で味っておきたい。何が言いたいかというと、いい加減、海外に行かせてくれという話。
次はチベット青海あたりも出てくれないかと期待している。
五輪の話
理解不能な大会が始まったから、徹底的にテレビのある空間を避けて過ごしている。それでもSNSや検索サイトに入ると、見たくない顔ぶれが視界に入ってくるし(しかもなんで顔写真ドアップにするのかね。)SNS上のみんなの怒りの声に痛いほど共感して、五輪の話題を避けようと思っていたのに、気づいたらいいねをぽつぽつと押している。
倫理的におかしいことだらけなのに始まってしまった。
優生思想、家父長制、感動ビジネス、搾取などなど....よくもまあこれだけ嫌なものを詰め込めたもんだ。
多くの人の意思表明に力をもらいながら、私も自分なりにいろんな場所で反対の意思を示してきたけれど、ことごとく悪い方向に進んでいっていて、もうどうしたらいいかわからなくなってる。
一番どうしたらいいかわからないのは、周辺に追いやられた貧困に苦しむ人たち、生活の基盤となる木を伐採された東南アジアの先住民たち、コロナに感染し重症化している人達などなどなんだけれども。
現時点で生活の基盤を揺るがされるような直接的な被害を受けていない私が何を弱音を吐いてるんだと思うけど、2013年に招致決定してから、じわじわ真綿で首をしめられるような辛さがあって、極め付けにこんな状況下で開催決定ですよ。ああ、、ちょっと限界だなあ。
ふう、とりあえずは本の世界に逃げたり好きな人と話したりしてボコボコになった心を修復しよう。そしてまた闘い方を考えてみたい。
この夏、五輪のせいで人生を狂わされる人が少なくなることを祈るばかり。
2021.7.25